タリック先生WSレポート

タリック先生の週末ワークショップ@秋谷ヨガハウス、参加された皆さんの大きな笑顔に包まれて、あっという間に終了です!

夏真っ盛りの日差しと、爽やかに吹き込む海からの風、キラキラの木漏れ日に囲まれながら、木のぬくもりとアジアンテイストが心地よい秋谷ヨガハウスで、タリック先生の等身大で気取らない、なんとも暖かで楽しいヨガクラスを、みんなで心から堪能した2日間。

1日目のビギナークラスは、早い時期からキャンセル待ちとなるほどの超人気ぶり。秋谷ヨガハウス始まって以来の満員御礼のクラスに参加された方々からは、「アシュタンガって楽しい!」「少しだけでも、毎日やってみます!」との声を沢山いただきました。特に地元のハタヨガやリラックスヨガの生徒さん達が、「キツそう・・・」と躊躇していたアシュタンガヨガを、タリック先生の下で始めてもらえるのは、なんだかすっごく嬉しいです。

2日連続で行われたマイソールクラスは、こちらも予定を上回る参加者数のため2部制に。1回につき、なんと10名以下という超少人数制で、じっくりと細かく指導を受けることができました。普段は東京のスタジオへは通えない宅練メインの練習生がほとんどでしたので、この機会を充分堪能していただけたかと思います。参加された方々からは、「とにかく楽しい!」「気持ちよく練習できた!」と、皆さん目を輝かせ、中には1日だけの参加のつもりが、「やっぱりもう1日追加で参加したい」という方も。

そして2日目のカンファレンスでは、レクチャークラスのような堅苦しいものではなく、私達より”ちょっとだけ経験が長い”ひとりの練習生としての気さくな語り口で、自身の実際の経験からくる学びを元に、アシュタンガヨガの練習にまつわるアレコレを、シェアしていただきました。

クラスの後は、恒例のマクロビランチで、ゆっくりとまったりタイムが始まります。のんびりとした雰囲気の中、実は「ランチだけ参加」の方もいらしたり・・・!

終日ハッピーなムードで、まるでここはアジアンビーチのコテージかしらん、という雰囲気の中、誰もが気持ちよく過ごした、幸せな2日間でした。

ご参加くださった皆様、秋谷ヨガハウスのJUNさん&リビーさん、そしてタリック先生、こんなに素敵な空間を作り上げてくれて、本当にありがとうございました!

 

 

おまけ:みわゆみこの感想文

2日間を通して、タリック先生から伝わってきたのは、それがマイソールクラスであれ、ビギナークラスであれ、決して押し付けず、説教くさくない、シンプルで、とっても自然な居心地のよさです。アシュタンガヨガというと、ストリクトなイメージがつきものですし、実はポーズには「厳しい」と定評のあるタリック先生なのですが、実のところは、確固たる愛情と信頼に裏打ちされた懐の大きな”厳しさ”なのだなー、と感じました。

例えばウッティタハスタで足をウンと高く上げるように”笑顔”でハッパをかけられると、よしやってみよう!という気持ちになりますが、それが「やらなきゃイケナイ!」というプレッシャーにはしないところが流石です。やろう!という気持ちが大切で、その結果が肉体という形で「いま」現れなくても、いいいのです。

そんなふうに、”いまのこのとき”に強くフォーカスする練習を続けていると、過去じゃなくて、未来でもない、その瞬間瞬間が常にまっさらで、常に生まれ変わっている感覚が芽生えてきます。そしてそれは、マットの上のアサナの練習だけには留まらず、普段の日々の生活の中にも宿りはじめます。

私個人的には、そんなタリック先生マジックが、昔から不思議だったのですが、今回の2日間のワークショップで、特にカンファレンスのお話を聞いているうちに、ジグソーパズルのピースがパチンパチンとはまるように、その謎が少しだけ解けた気がしました。

カンファレンスというと一般的には、「会議・会見」を意味しますが、アシュタンガヨガ界では(笑)、故グルジがインドの道場で毎日夕方に生徒さん達を集めて、特にテーマを設けないカジュアルな講話の時間を設けており、それがカンファレンスと呼ばれ、グルによるお説法みたいなイメージです。現在は後継者のシャラートが、週に1回テーマを設けてキチっとしたカンファレンスを行っているとのことですが、今回はグルジスタイルで、特にテーマは「これ」と設けずに、カジュアルに流れに任せなから進めていただきました。

タリック先生は20数年前、当時まだヨガといえばヒッピーという時代に、シバナンダヨガを始め、その後、故ラリー氏(秋谷ヨガハウスのジュンさんや、厚木のトモミさんの先生)からアシュタンガを教わり、「これだ!」と衝撃をうけたのとのこと。

12年前、プライマリーを3年ほど続けて、ちょうどセカンドを始めたころに、インドのマイソールへ。当時、自分が教わっていた先生達・・・グルジ、ロルフ、ジョンスコット・・・は、ゆっくりとポーズを進めるのが常で、できないポーズがあれば、そこで留まり練習を続けるのが普通だったそう。

そんな中で練習を続けていくうちに学んだことは、アサナはあくまで道具/ツールであるということ。大事なのは、まずは土台、しっかりと安定していること。そこから、少しチャレンジしながら、ココロを落ち着かせていく練習なのだ、と。練習のキモは、ダーラナ、一点集中を経た瞑想的な状態。ヨガの目的は、揺れ動く心を静めること。そのためにアサナの練習という道具を使っているにすぎないのだ、と体験を通して実感するようになったそうです。

面白かったのは、タリック先生は一時、とある指導者から、1ヶ月でサードシリーズを全て教わったそう。先生いわく、「自分のエゴは”イエーイ、アドバンスだぜ!”と大喜びしたけれど、実際は土台がないまま上に積み重ねているだけで、とても不安定で、不安な気持ちをもたらすだけで、とどまることの大切さを痛感した」とのこと。

こんな感じで、タリック先生自身の経験を通して得た様々な学びをベースに、話は自由にさまよいながらも、一定の明確なラインを描きます。下記、ダイジェストで、お話のメモを。

苦手なポーズ、できないポーズで、とどまり集中する。光も集まれば焦点が集中して、熱い炎を生み出す・・・それと同じように、苦手な部分に集中、自分の持つエネルギーをフォーカスすることが大切。

グルジはよく言いました。 「ブリーズ(呼吸)。ノーシェーキング(震えるのはダメ)」
アサナができるというのは、安定していること。つまり、スムースな呼吸ができて、安定していて、震えたりしていない状態である。スティラ・スッカム・アサーナム。

どんな苦手なポーズも、まずは1000回はやりましょう。そうすれば、おのずとそのポーズを”経験”することになる。この実際の経験こそが、ヨガを伝えるときのベースとなる。数百時間だけでアタマの知識をつめこむTTCには、それが欠けていると思います。

練習は、木の生長にたとえられます。
早く育つ木は、背が高くて、目立って、まわりからカッコイイと思われるけれど、ヒョロヒョロとして安定せず、実は弱いものです。
反対に、じっくりと時間をかけて、まずは根をしっかりと張り、太く安定した幹をゆっくりと育てていく木は、目立たず、カッコよくもないけれど、とても安定して強いのです。

木の姿は私達の外側、からだの部分です。根っこは私達の内側、こころの部分です。アサナを練習する
あなたの、身体とこころは、どんな状態ですか?

私個人的には、練習を始めて1~2年でセカンドのポーズを始めるのは、早すぎると思います。基礎となる部分、つまりプライマリーは少なくとも1000回・・・定期的に練習をして3~5年は行って、自分で実際に「経験」をすることで基礎を身につけることが大切です。もちろん中には身体的に優れている人もいますが、大切なのは外側のポーズの部分だけではありません。

私のマイソールクラスには、毎朝50~60人が練習しています。よく「どうやってそんない大勢の生徒さんを指導できるのですか?」と尋ねられますが、私は海の中を泳ぐサメのように、練習する生徒さんたちのバイブレーションをセンサーで感知しています(笑)

たとえば、ある練習生が、落ち浮いた呼吸とマインドで、瞑想をするようにアサナの練習をスムースにおこなっていれば、その人の周りの空気は乱れず、私はその人がいることすら感じません。そういう状態になった生徒には、新しいポーズや動きなどを教えて、チャレンジする課題を渡します。

また反対に、とあるポーズで四苦八苦して、身体や心が焦っているような練習生には、不安な空気が発信されるので、すぐに気づきます。そういうときは、アジャストをしたり、アドバイスをしたりして、手助けをしています。

平均的に、こういった、不安定要素をもたらす、チャレンジングなポーズは、1つか2つあれば充分だと思います。それ以上あったら、つまり、できないポーズが3つ以上あるような練習は、単にストラグルと不安を増長させるだけで、健康的な木の成長は見込めません。

チャレンジは必要です。しかし、怪我や痛みは、ときに良き気づきをもたらしますが、基本は安全第一です。たとえば、筋肉痛などは大丈夫ですが、膝などの関節の痛みは、良くありません。

とくに膝はとてもデリケートな沈黙する関節で、痛みを感じたときには手遅れなことも多いので、注意が必要です。股関節が原因で膝を痛める人がとても多いです。膝の痛みは、ぜったいに無理をしないで、左右非対称になってもかまわないので、膝に負荷をかけず、ときにはブロックなどを使いながら、首の据わらない赤ちゃんを扱うように、大切に大切に扱ってください。痛みがなくなったときには、あわてずに、ゆっくりと復帰するようにすることも大事です。痛くなくなったからといって、急に元にもどすと、また痛めてしまうこともあります。痛みがなくなってから最低1ヶ月は、様子をみるように、焦らずに。

アヒムサはとても大切。アサナはトリスターナのたった3分の1をしめるにすぎません。それがすべてはありません。身体が思うように動かなくても、簡易方法でも、呼吸やドリスティは充分練習できるのです。

グルジの言葉は、ほとんどヨーガスートラからきています。スートラはパタンジャリが編纂したといわれている、ヨガの教科書です。ヨガのエッセンスをシンプルな格言に圧縮(コンプレス)したのが、スートラの各節で、そこには解説はありません。

本場インドでのスートラなどの古典の学習方法は、ただただチャンティングを繰り返すことから始まります。解説はありません、ただ「型」にあたる部分を、何度も何度も繰り返し、心身に落とし込んでいきます。聖なる言葉サンスクリットが宿ったときに、その実際の経験を介して、解凍(ディコンプレス)が始まるのです。

いわゆるスートラの解説書は、この解凍の部分にあたります。

これは、私達が行っているアシュタンガヨガのメタファーとして、とても意味深いと思います。私たちは、決められた呼吸と動きとポーズを、つまり圧縮された型を、何度も何度も繰り返します。それが練習です。そして1000回、2000回と、ただただ練習を行ううちに、私達の内に宿るものがあります、それが解凍(ディコンプレス)=解釈の部分。

これらの話を聞いているうちに、なぜ私がタリック先生の指導に自然な包容力を感じたのか、の答えが見つかった気がしました。

指導者というのは、ポーズの意義や解釈や、ひいてはヨガとはこうあるべき等の持論を、滔々と語り押し付けるものではなく、生徒が自ら学ぶための環境を作り、必要であれば「指針を示す」役割を持ちます。つまり、大切なのは、私達練習するもの個々の実際の経験そのもの、そしてそこから導かれる「解凍」の部分。

それは、決して肉体的進化や柔軟性を求めるものではなく、スピリチュアルな目覚めや解放を勘違いするものでもなく、とあるひとつのツールを介して、「ただ、学ぶ」ことの重要さを、自ら知るということ。

大事にすべきは、基本、土台、安定、まずはそこ。それらは内面から生まれ、外側に現れていきます。かっこよさ、優美さ、きもちよさ、といったエゴの部分に惑わされない、芯を築いていく。そういう練習を個々が自ずから行っていける、そういう指導をするのが、タリック先生なんだな、と感じました。

渋谷のマイソール東京には毎朝50~60人の練習生が集まり、そのエネルギーの高さは圧倒されるばかりです。波のように渦巻くエネルギーの中を、サメのようにひょいひょいと泳ぎまわり、タリック・ターミという個を押し付けず、常にフラットに、だけと暖かく愛情をもって、時に厳しく、時に優しく、指導をして回る姿には、いつも感服です。

少し前に横浜でマイソールをオーガナイズしていましたが、当時の生徒さんの多くが、このスタジオで練習をしています。横浜近辺から渋谷という距離を厭わず、このタリック先生のマイソールに通う姿を見るたびに、なんとなく嬉しい気持ちになります。そして、私もその一員として、週に数回ですが、タリック先生の下で練習できることがとても幸せです。

以上

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