月別アーカイブ: 2015年2月

ドミニク先生WS・クラス内容について(2)

ドミニク先生は今年3回目の日本滞在。マイソール東京での毎朝の指導や、日本各地でのワークショップ等を介し、日本人練習生の身体的/心理的/エネルギー的特徴の理解と洞察が、ますます深まってきているようです。

そこで、今回のワークショップ・レクチャークラスは、先日お伝えしたように特にテーマは設けず、その場に参加されている皆さんの状況に応じて、スポンティニアスに進めていく形式ではありますが、日本人練習生に共通して見出される「股関節」にまつわる特徴を、トピックスのひとつとして取り上げる予定だそうです。

乳児期における「おんぶ」の習慣や「おむつ」の形状、「しゃがむ」「床に座る」ことの多い生活などから、日本人は股関節が柔らかいと思われがちですが、同時に股関節症の発生率が高いのも事実です。股関節はまた、心理的な結び目が作られやすい、感情をため込みやすいと言われる関節でもあります。そして、アシュタンガヨガを練習する私たちにとって股関節は、おそらく全てのレベルの練習において、常に向き合わざるを得ない重要な部位であることは確かです。

スプタ クルマ―サナやエカパダ/ドヴェイパダ シルシアーサナなど、難易度の高い「股関節を開くポーズ」において、心理的/肉体的な背景の理解をベースに、意識やエネルギーをどこへ向け、肉体にどのように働きかけることができるのか等々、シニアティーチャーの経験からくる智慧と洞察をシェアしていただきます。

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また今回は、ドミニク先生が撮影した昔のグルジや練習生の映像を一緒に見る機会もあります。グルジと長い時間を過ごされたドミニク先生ならではの、当時の様々なエピソードと共に、このアシュタンガヨガというプラクティスの「源泉」の部分に触れることのできる、本当に貴重な時間となりそうです!

ワークショップまで、あと2週間、みなさん、お楽しみに!

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ドミニク先生WS・クラス内容について(1)

アシュタンガヨガ ワークショップ & レクチャークラス

土曜日のワークショップ/日曜日のレクチャークラス共に
当日ご参加いただく皆様ひとりひとりに必要な学びがなされるよう
あえてテーマや内容を限定せず、フリースタイル形式のクラスとなります。

30年以上にわたる練習・指導の経験からくる深い洞察
アシュタンガの源であるグルジからダイレクトに受け継がれた光と智慧
慈愛に満ちた暖かさと、人間味に溢れたドミニク先生個人の魅力

そんな素晴らしいシニア・ティーチャーに直接学ぶせっかくの機会
決まりごとのような堅苦しいテーマなど設けず、もっと自由でインタラクティブに
参加される皆さんひとりひとりが、「個人的な学び」を深めていけるように、と
ドミニク先生と相談をして、このようなカタチになりました。

偶然に、必然に、その場に居合わせるみなさんと先生
それぞれの存在が生み出し、織りなす化学反応を大切に。

杓子定規的な計画や予定、思い込みや囚われからは一旦抜け出して
表面的な上辺だけの「学んだつもり」の知識を蓄積するのではなく
私たちひとりひとりの核心の部分に触れ、深い気づきをもたらす
アシュタンガヨガを介した私たちのリアルな学びの本質へ
経験豊富なドミニク先生にガイドしていただく・・・
そんな内容のクラスです。

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【注意事項】
土曜日のワークショップ・日曜日のレクチャークラスにご参加の方で、特に今回初めてドミニク先生の下で練習をされる方は、ぜひ当日のマイソールクラスへの 参加をお勧めします。

朝のマイソールクラスを通して、ドミニク先生がひとりひとりの心身やエネルギーを繊細に観察し理解を深め、そこから生まれる個々に即 したアドバイスや提案をベースに、11時からのクラスがインタラクティブに展開します。(ワクワク)

また、わたしたち日本人は基本的にとても謙虚で、こんなこと聞いてもいいのだろうか?と周囲への配慮を持ち、自己表現や発言を控える傾向があります。

そこで、皆様からの質問や疑問、悩み、またはリクエスなどありましたら、ぜひ事前にメールでお送りください。事前に先生に目を通していただき、当日の 内容に反映させていただきます。

日本語でも英語でもOKです。しっかり翻訳してお伝えしますので、yumikomosley@gmail.com までお願いします。

カラダとココロを超えて

日々の練習の中で
私という存在の“何か”が少しずつ変容してゆく経験は

甘美な歓喜や至福というよりは
恐れや不安や戸惑いといった「居心地の悪さ」と共に
いまでも常に鮮明に展開しているプロセスなのだけど

その質の変化は確かにあるなぁ、
と、最近なんとなく、そんなことを感じてる。

IMG_0768

アシュタンガヨガのプラクティスは
なにはともあれ、まずはカラダから始まる。

私たちが“自分だ”と思っている存在と
”この肉体“という窮屈な物体らしきモノとの繋がりが

親密と疎遠の間で揺れ動き
ダンスに興じるような不思議な経験。

何年続けていようと
そこにはいつも新しいポーズや動きが待ち構えていて

そこに肉体を投じては
新たな冒険が何度も、繰り広げられている。

アシュタンガヨガをやっていると
エゴは身体を上手に手なずけられないんだなぁ
と気が付くのに、あんまり時間はかからない。

こうしたい、ああしたい、こうあるべき、ああでなきゃ・・・
と私達をコントロール・フリークに駆り立てる源と折り合いをつけないかぎり

肉体は簡単に緊張しては
固く縮こまって重たいカタマリになっていっちゃう。

その身体が、浮かび、上がり、流れ、フローするには、
どんな知識や強い意志で完全武装したエゴよりも

呼吸の制御と、視点を定めたマインドの集中という、
最もシンプルで汎用性の高いユビキタスなツールが、

やっぱ一番大事らしい。

カラダとの関係が親密になってくると
今度はココロと向き合いアーデモナイ・コーデモナイが始まる。

古くからの思考パターンや習慣
思い込みや刷り込み
これが“自分だ”と思っていたエゴやマインドの
整理整頓大掃除三昧。

感情と思考とハートがチグハグにならないように、
内面の混沌の糸を解いていくと

カラダも含めた自分という存在が
次第に統合されていく不思議な変化を経験する。

毎日の練習も
おなじ身体を使って
呼吸と視点を整えているだけなのに

ココロの状態如何で
まったく異なった世界が広がるし
そのどれをも否定せずにオッケー出してる自分にビックリしたり。

昨年の今ごろあたりから
なんとなく人生が楽になってきたのは

周囲が変化したからではなく
この世界を見つめる自分の視点が変わったからかもねーなんて

最近ひとりゴチているのだけど。

同時に、いままでカラダとココロの機微に向いていた意識の矛先が、
ここにきて、ちょっとまたシフトしている感じ。

ここ1年ほどサードの練習が少し進んで
まさにココロの状態如何でカラダが様変わりする事実を
毎日マットの上で体験しては、ウワーとかやってるんだけど。

本当に面白いように
日によっては全身が鉛のように重くなったり
理由のわからない筋肉痛や神経痛に襲われたり、
だけど数時間後にはケロリとしたり。

ココロのケアも、カラダのケアも、同じくらい大切だなぁ、
なんてシミジミしているときに、偶然いただいたフラワーエッセンス。

これがまた、ドンピシャのタイミングというか

カラダだけじゃなくて、ココロだけじゃなくて
そのどちらをも超えた次元で、そのどちらをも包容している
ひとまわり大きな「ワタシ」という存在に
働きかけてくれるんだな、と実感。

ああ、これか。

直接的に、ガッツリとピンポイントで
腰や肩の痛みに働きかけるのではなくて

なかなか良い子にしてくれないココロの癖を矯正するのでもなくて

もっと深い、大きな次元での、「ワタシ」という存在を
微細な繊細なレベルで、整えていくことで

カラダやココロといった、目に見えて分りやすい部分のちょっとしたノイズは
自然に淘汰されていくんじゃないかな、と。

そしたらね、アシュタンガの練習も
なんだか随分、軽やかに楽しくなってましたよ

カラダの一部が痛いとか、固いとか、重いとか
ココロの状態が、イライラしてるとか、ダラダラしてるとか

そういう部分に惑わされなくなってきた。

仮にそれをプラナヤマコーシャとか
サトルボディとか呼んでもいいけれど

そういう言葉自体が、マユツバに聞える向きもあるので
私はとりあえず
カラダとココロを超えた、微細な次元の存在
もしくは「目に見えないナニカ」って表現することにする。

アシュタンガヨガのアサナの練習って
カラダとココロに強く働きかけた後は

こんな風に、自然と
カラダとココロを超えた、少し微細な次元へと
私たちを誘っているんじゃないかな?

確かに私は
このココロと連動したカラダを使って
日々のアサナの練習をしてはいるけれど

ここ最近の意識の矛先は、
カラダとココロを超えたトコロで
目に見えないナニカを確実に感じている。

そして奇しくも、この時期に
日々の練習をみてくれている代行先生の
それを喚起させるパワーに後押しされ

なんとも、見事に仕組まれたような
不思議な巡りあわせに感嘆しつつ

カラダとココロを超えた冒険が
ずんずん進むよ